• 徒然記
  • 鎌倉で過ごす日々の徒然や随筆

我が子の47歳の誕生日に

次男坊と言っても46歳の男子である。ところがダウン症を持って生まれたためもあり、不思議にいつまで経っても「可愛さ」が抜けない。

生まれてすぐ医師に「この子は二十歳まて生きられないかもしれない」と言われた。今考えても残酷な医師だが当時は比較的普通に言われていたようだ。親として出来る限り本人のためになることをしてきた。結果的に46年余りを共に生きて来たことになる。

誕生日まで後20日余りになった。時々は本人も作業所に付属するグループホームに泊まり楽しい時間を過ごしていた。ところが、夜に入って体調が良くないので1日早いが迎えに来て欲しいと連絡が入った。パジャマの上にセーターを羽織って迎えに行く。足元が覚束ない上に呼吸が苦しそうだ。
その夜は普段通りに食欲もあり甘え心が影響したのだろうと思う。翌朝の体温は平熱に近いが足の痛みは引かない。整形外科医院を2時半に予約して家族7人で蕎麦屋で昼食をすると到って呑気なものだ。予定通りに出かけた整形外科で「偽痛風」の疑いで膝の水を抜いてもらう。1年ほど前にも同じようなことがあって劇的に痛みが減った記憶の次男坊はご満悦である。
3時45分頃には総合病院に到着する。この病院では土曜の午後は緊急外来で受け付けるという。トリアージを受けて第5診察室(Examination Room)の医師に担当してもらうことになった。様々なことを聞かれ本人も一生懸命に答える。やはり検査が必要ということになり着替えて病院の人になった。

閑話休題、病院や施設では部屋番号に第4はないが、ここでも同じだと妙なことに感心している。第3室の呼び出しマイクの音が小さく、第7室は極端に大きいが担当医は知らない等つまらないことが気になる。
ひっきりなしに救急車のサイレン音がして「69歳男性、血圧低下」の院内アナウンスや、93歳で妻の面倒を見ていた男性は介護認定を受けていない。肺気腫があり肺炎になるおそれもあるので入院手続きをする。点滴を抜こうとしたりチューブに足をかける遅くもある時には手袋をつける許可が必要だといった他人の会話が気になる。そういえば介護保険が誕生する時に「縛らない」介護が大切なことを実践していた病院が思い出される

5時間も経過しても説明がない。余りにひどいので医局に掛け合いに行く。若い女性医師が申し訳なさそうに説明する。血液検査の結果、炎症反応を示す値が極端に高い。肺レントゲンの画像も4分の1ほどが白くなり機能していないようだ。
このまま帰す訳にはいかないと言われたが本人の意思を聞いて欲しいと伝える。ベッドで酸素マスクを外してもらった状況の次男坊は強く手を横に振って異議を唱えた。彼女の上司にあたるような男性医師からこのまま帰宅する許可が出た。病院に到着して7時間が経過していた。

指定された月曜日の午後3時半より30分早く総合病院に到着して血液検査を受けて内科病棟に行く。受付に行くと「1時間前には来るように」と理不尽なクレームを受ける。理由には納得出来ないが大人気ないのでベンチで待機した。30分待って再び受付に行くと「もうすぐです」と低姿勢になっている。

土曜日夜の女性医師の問診を受けると血液検査の数値は大幅に改善されているようだ。とりあえず掛かり付けの医師の指導に従って欲しいとの診断で放免ということになった。

後日談のようになるが、火曜日の午後4時過ぎに掛かり付けの医師を訪ねる。血液検査の数値を見た上で体重を減らす以外に解決策はないという。当面はこれまで通りの処方箋である。肺機能には問題があるがゆっくり対応するしかないようだ。抜本的な治療法がない以上、日常生活で本人の負担が少ない方法を模索するしかないようだ。

我が子の47歳の誕生日に

関連記事一覧