• 徒然記
  • 鎌倉で過ごす日々の徒然や随筆

南無はるかな地平へ

祈りの形は両の掌(たなごころ)を合わせて頭(こうべ)を垂れることに始まる。そう思って生きて来た。

ふと私の耳に「南無釈迦牟仁仏」「南無忍性菩薩」極楽寺の谷に僧侶たちの読経が聞こえる。毎年4月8日「花祭り」に極楽寺の奥にある忍性墓へのお参りを手伝うことを勝手に私の仕事にして久しい。

「南無(なむ)」は敬意、尊敬、崇敬を表すサンスクリット語の音訳で「なも」とも発音するようだ。自然に経文に身体が反応するようになって久しい。

私は10月6日に満76歳になった。語呂合わせのように76(なむ)という音が脳裏をよぎる。特別な能力を持ち合わせない私が4分の3世紀を生きて来たことに感謝しながら、生命の地平に向かって思うことを記してみたい。

平成30年は平成の最後を悲しむように異常気象が次々に襲っている。銀杏も楓も葉が染まる前にチリチリになった。台風24号の運んだ潮風には多量の塩分が含まれていたためのようだ。

誕生日の昼間は真夏に戻ったような暑さに由比ヶ浜のバス通りでへこたれていた。鎌倉文学館の特別展「鎌倉時代を読む」に行き、吉屋信子記念館を見ての帰りだった。ふと私は何処へ行こうとしているのか疑問に思った。

我が家の宗旨は浄土真宗である。最近では菩提寺になった長光寺で念仏三昧の時間を過ごすこともある。ところが父が亡くなるまでは念仏を唱えたことがない。仏式の葬儀を密葬とし道場で神式の本葬をお願いしたのだから不思議なものである。
あなたの宗教はと問われて仏教とは答えられない。むしろ神道に近い心情だからだ。そもそも私の信仰はどんな形なのだろう。路傍の石仏に「ノンノさん、あっ」と言っていた頃から変わっていないようだ。
なぜ祈る時に「南無」と言うのだろうか。浄土真宗や浄土宗、時宗では「南無阿弥陀仏」、日蓮宗では「南無妙法蓮華経」を唱える。

真言律宗の極楽寺では毎月28日が「お不動様」24日が「お地蔵様」の日である。60歳になった翌年にたまたま興味があって小さな本堂に上がった。その頃から毎月お経をあげるようになって久しい。「のうまくさんまんだ」と不動明王呪や光明真言を唱えている自分が不思議な気もする。
学生時代から「只管打座」で両手を組む座禅にも親しんで来た。阿弥陀様が両手を広げて待っておられるという浄土真宗の教えにも心が落ち着く。

若い時分に観世流の謡曲を習ったことがある。人間国宝になられた先生も当時はまだ若かった。声を出してご覧なさいと言われ「庭の砂(いさご)は金銀の」と謡い始めて「それはお経です」と笑い声が返って来た。最初に小田原・東泉院の岸達志先生について唱えたのは「般若心経」である。

父が亡くなって以来30年我が家の仏壇の前に座って毎朝お経を上げている。声を出すことで生きている気がするのも不思議なものである。

南無はるかな地平へ

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