『紅白歌合戦』の今後を考える!

史上最高の視聴率を出した“お化け”番組

NHKの『紅白歌合戦』は、“お化け番組”と呼ばれている。
“お化け”の理由は、69回も続いているという長寿番組ということもあるが、もっと凄いのが視聴率の高さだ。1963年(昭和38年)の第14回では81.4%というとてつもない視聴率を出している。写真がその時の舞台の様子であるが、見てのとおり白黒テレビの時代である。

『紅白歌合戦』の今後を考える!

第14回紅白歌合戦( 音楽工房「CASSATA」より )

この時の視聴率は、テレビ番組史上で堂々の1位である。2位は1964年(昭和39年)、東京オリンピックにおける女子バレーボール決勝戦(日本対ソ連)の66.8%である。
興味深いことに、1位と2位の間にたくさんの『紅白』が入っている。例えば、『紅白』の2位は1972年(昭和47年)の80.6%であり、3位は1962年(昭和37年)の80.4%などである。

ここで、史上最高の視聴率をたたき出した1963年の『紅白』の内容を概観してみよう。
『紅白』が国民的番組となって、ものすごい視聴率をたたき出し続けていた原点が見えてくる。

まず、当時は夜の9時~11時45分の番組であり、紅白が各25人(または組)の対決であった。
紅組の司会は歌手の江利チエミ、白組はNHKアナウンサーの宮田輝である。
紅組のトリは美空ひばりであり、「哀愁酒場」を歌った。白組は三波春夫で、「佐渡の恋歌」だ。

『紅白』では、誰がトリを務めるのかということ以上に、どんな新人歌手が選考されるのかということに興味が集中していた。毎年数多くのヒット曲が生まれ、魅力的な新人歌手が続々誕生する中で、だれが『紅白』に初めて登場するのかということは、国民共通の関心事であった。

この年の白組の初出場は、北島三郎(「ギター仁義」)や舟木一夫(「高校三年生」)、などの6名だ。
紅組は、賠償千恵子(「下町の太陽」)、梓みちよ(「こんにちは赤ちゃん」)や中尾ミエを初めとする3人娘(中尾ミエの「バイ・バイ・バーディ」など3曲)、などの8名である。

そのほか、話題を呼んだ歌手と曲をあげてみよう。紅組では、吉永小百合(2回目、「伊豆の踊子」)や西田佐知子(3回目、「エリカの花散る時」)などが、筆者の記憶に鮮明に残っている。
一方、白組では、坂本九(3回目、「見上げてごらん夜の星を」)や植木等(2回目、「ホンダラ行進曲」)などが大いに場内を沸かせていた。

歌手名と曲名を聞いただけで、その1年のことが鮮明に蘇る。これが最盛期の『紅白』なのだ。

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