記憶の底の「菜の花畑」

天気が良いと「歩きたい」と思う気持ちが強くなる。
季節によるが自然の中で澄んだ空気が吸いたいという気持ちには変わらない。

まだ幼かった私が畑の先を走って石垣の下で気を失っていたという。驚いた両親が聞いたところ私は「菜の花畑がずっと続くと」思っていたと返事をしたらしい。笑い話のようだが真実の話だ。

東京・中野区沼袋で生まれた私は満1歳の暮れに福岡県大牟田市に転居した。父は祖父の後を継いだ兄を補佐し、病死された後は後継者としての活躍が期待された。満1歳から8歳までの7年間を過ごした。

私が菜の花畑を走っていた頃は正山町という高台に住んでいた。30年ほど前に亡くなった母は長崎の原爆雲が見えたと言っているので幼かった私の目にも映っていたかもしれない。

記憶の底をかき回していると様々なことが浮かんで来る。浮かんでは消えるというのが正確なところかもしれない。

心に浮かんだことを兼好法師の「徒然草」ように書き留めておくことは日記を認めるのと似た行為かもしれない。

あまりに記録することを大切にすると周囲が見えなくなる。カメラで撮ることを優先すると風景を記憶に止もることが出来ない。
メモ帳を持参し何かを書いていても何を書いたのかわからない。

感激したことは確かだと自分の中で反芻することにしよう。

歩いた日の私の状態、吹いていた風などを思い浮かべれば書きたかったことの方から現れるように思う。

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