瑞泉寺を行く

紅葉が谷(やつ)の「瑞泉寺(ずいせんじ)」は禅寺でありながら文学の香りがする不思議な空間です。

国指定史跡「永福寺(ようふくじ)」跡の鎌倉町青年団の歴史碑を過ぎ、二階堂川にかかる通玄橋を真っ直ぐ進みます。因みに左手を行くと紅葉の名所・獅子舞につながります。

小川のある細道がずっと上り坂になって紅葉の美しい邸宅もあります。祭礼の御輿がここまで来るのでしょうか、その先に荏柄神社のお旅所があります。

一方通行の標識を越えると山門だけが道路を塞ぐように立っています。昔はこの辺りまで寺域だったのかもしれません。

やがて瑞泉寺受付の小屋が見えて来ます。手前の山道からは天園ハイキングコースが続きます。この日もハイカー3人が登って行きました。

鎌倉でも遅く咲く梅林の石畳の先が急な坂になっています。右側が女坂左側が男坂です。最初は山側の竹林を見ながら女坂を登って行きたいと思います。

「灯ともせば仏もいます寒夜かな」湘海と書かれた板が門に掲げられています。瑞泉寺の住職が俳句を大切にする人で、数年前に亡くなった漂泊の俳人・山崎方代が自由に出入りしたことで知られています。
注・います→「い」はウィの旧字

文学青年の住職は山崎方代ばかりでなく定期的に俳人の句を門に掲げて来ました。

四季折々の花を楽しめる庭園には様々な工夫がなされています。本堂の右側にある茶室にあたる太陽の光もそのことを物語っているようです。門前にあった大宅壮一(評論家)の石碑「男の顔は履歴書である」が鐘楼の傍らに移されています。

本堂の後ろにある庭園は国指定史跡で私が歩き始める少し前に発掘されたものです。当時は乾上がっていた池には水が満々とあり座禅したというやぐら跡もあります。待っているとチャンスが巡って来ます。「へん(行人偏の偏→あまねく)界一覧邸」跡を見学するために橋を渡って細い山道を登ったこともあります。滝の上を歩いた時の感激を忘れることが出来ません。

池の手前にある「どこも苦地蔵」はウォーキング仲間の愛称になりました。修行が苦しくて逃げ出そうとした堂守に、お地蔵さんが「どこもく  どこもく」つまり「どこに行っても苦しい」と教えたそうです。何かの都合で閉まっている時以外は手を合わせて来ます。

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